2011年3月21日(月)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
江ノ島
FM10 nikon
3月11日に発生した東北大震災におきまして、被害を受けて亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
また、行方不明の方が一人でも多く発見されることを心より願っております。
そして、被害を受けて、現在非難されている方が、一刻もはやく暖かいところ、安心出来る場所へ戻ることが出来るように、応援しています。
3月11日は、僕は都内の職場にいて、地震を体験したので、そのことについて、自分の為に記録を残しておきます。
──
その日の午後は、1年づつ離れた先輩と後輩と、明日から行く予定だったスノボの行き先について話していた。
無計画に出かけようとしていたのだ。
しかし、その時小さな揺れが始まった。
最近規模の小さい地震が多かったので、また今回もそういったものだろうと思っていた。
しかし、揺れは収まるどころか、どんどん大きくなり、徐々に立っていられない状況になってくる。
最初は冷静を装っていた職場の人達も、これはやばいんじゃないの、と、ざわざわし始めた。
物が倒れたりする音が聞こえる。
窓の外を見ると、となりのビルが、豆腐のように揺れているのが見えた。こんなのはじめて見た。
数分間は続いた揺れも収まり、ネットの情報を見ると、仙台方面で震度7・・・都内でも5強くらいあったようだ。
携帯のワンセグでテレビを見ると、今まで映像として見たこともないような津波が、家や車をオモチャのように飲み込んで良く映像がヘリコプターから中継されていた、、、
なんて恐ろしいことになっているんだろう。。。
すでに鉄道は運休しており、すぐには帰ることが出来ない。
この辺は大きな被害はなさそうなので、帰る頃には復旧するだろうか、、、と心配していた。
強い余震は続き、テレビやネットでは次々と東北地方沿岸の悲惨な状況が明らかになっていく。
そして都心においても、コンビニからは食べ物がなくなり、とにかく移動しようと考えた人の車によって道は大渋滞、歩いて帰る人も大勢いた。
JRは当日中の運転再開はないと発表し、さっさとシャッターを閉めてしまった。
これは帰れないのではないだろうか、、、。
僕も自宅が心配だったが、一人暮らしなので急いで帰る理由はなく、列車が動いたらゆっくり帰ろうと考えていた。
それに、相模湾にも大津波警報が発令されており、自宅に帰っても安全とも限らなかった。
日付が変わりそうになった頃、徐々にJR以外の私鉄や地下鉄は復旧し始めていた。
どうやら、東急、小田急などを乗り継いだら帰れるようになったらしい。
同じ湘南方面の同僚に諭され、僕も一緒に帰ることにした。
暗い夜道を、動いている電車の駅まで30分ほど歩き、電車に乗ることができた時、「陸の孤島からの脱出」という言葉がまっさきに浮かんだ。
列車は徐行したり、駅で長く止まったりを繰り返したが、確実に乗り継ぎ、午前4時頃には藤沢駅へと到着することができた。
約20時間ぶりに返ってくることができ、藤沢駅前のいつもの光景をふたたび見ることができたのが、当たり前なのにすごく嬉しかった。
一緒に帰った先輩と、後輩と、ラーメンを食べて、タクシーで帰宅した。
12日(土)は自宅での情報収集に徹した。
朝、JRも運転再開したようだが、本数も少なく、都内の人を地方へ返すには十分ではなかったようだ。
満員で乗れない列車が何本も続いたようだ。
夜のうちに出発して帰ってきておいてよかったと実感した。
また、地震の被害はどんどん拡大していった、、、。
行方不明が万単位という話も聞こえてきた、、、。
13日は、首都圏はすっかり日常生活を取り戻したかのように見えた。
列車もほぼ正常運行に戻っていた。
僕は銀座のAppleStoreに壊れたままになっていたiPhone4を修理にようやく持っていくことができた。
(母親から電話がかかってきたのに通話できなくて、ドコモでかけ直したりして、困っていたのだ)
そんな感じで、いつもの生活に戻りつつあると思っていた首都圏にある重大発表が。
「輪番停電」
翌日から再び首都圏が混乱に陥るのであった・・・。
首都圏のほぼすべての列車が運休。
(いまこの辺)
続く??
中村まさあき@7k6r
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
最近のコメント